自分や周りを励ます言葉&Amazonなどで漫画の大人買い&好きな音楽などなど

自分や周りの人を励ます言葉・文章を思いつくままに書いてます。ちなみにただの40過ぎのおっさんです。読んでくれた人がにこって笑ってくれたりすればOKです。もし面白そうだと思ったものがあったら周りの人に言ってみてください。あるといいのですが

家で本格生ビール

家飲みが流行っているということですが、家以外では堂々と飲めるのでしょうか・・・・というのが本音です。

 

果たしてたくさんの人で集まってワイワイガヤガヤお酒を飲むなんて日が果たして戻ってくるのでしょうか。

 

家でお店のようなビールを飲んで、かつての日常が戻ってくるのを期待しましょうか。

プロテイン特集

夏が近づいてきたので気になるのはお腹の出っ張りでしょうか。

 

出っ張っていてもまあいいかっていう人もいるのかもしれませんが、さすがに気になりますよね。シャツから乳〇が浮いてるのも恥ずかしいい・・・。

 

というわけで今年の夏はダイエットに励もうかなと。

ダイエットの定番のプロテインダイエットに挑戦してみようと思います。

 

 

 

少年時代の思い出④運動会

小学校の運動会って少年時代においては一大イベント。今でもそうだと思いますが。近所の人がとにかくみんな小学校のグラウンドにみんな集まっていると思ってました。かけっこ競争の銃を鳴らす役がみんなに人気でしたね。「位置について、よーい、ドン」で火薬をセットした銃を鳴らす人です。今だったら耳を傷めるとかで耳あてだったりをつけるとか、火薬の銃ではなく旗を振ったりするのかもしれませんが、当時は火薬でバカでかい音を鳴らしてましたね。高学年の時に1回だけやることができました。うれしかったなあ。昼休みになると家族のところに行ってお弁当。以前に書いた唐揚げもバクバク食べてました。母親の作った大量のおいなりさんが登場します。なぜかおにぎりではなく、運動会ではおいなりさんでした。もちろん屋台も出ているのですが、子供たちは買ってはダメって言われていて。家族の人が買ったものをもらって食べているからいいんだというよくわからないお目こぼしで食べてたような。かき氷とか大人気なわけですがうちの親は買ってくれず、親が家で作ってきた麦茶(砂糖入り)をのんでました。かき氷を食べてる子がうらやましかったなあ。ちなみに昼休みしか家族の持ってきた飲み物も飲ませてくれませんでした。今って水筒なんかを普段でも学校に持って行ったりするわけですが当時はそんな習慣はなく、のどが乾いたら水道からがぶがぶ水飲んでましたね。なぜか「あそこの水道には誰それが毛虫を入れた」なんて話がまことしやかに言われていて、3つあるのにいつは使われていなかったり。でもいつの間にかそれが今度は「あそこの水道は誰それが口付けて飲んだ」なんて話にすり替わっていて、使われない水道が入れ替わったり。そして帰りがけにうちの母親が屋台で大判焼きをなぜか毎年買うと。当時で1個60円くらいだったかなと。買うのが遅いと白あんしか残ってなくて、黒あんのがいいって思ってるわけですがなぜか。よくわからないこだわりで。今って大判焼きの屋台なんて見かけませんけど、昔って屋台の種類も少なかったですよね。かき氷、たこ焼き、焼きそば、お好み焼き、金魚すくいでしょうか。今、お祭りとか行くと、少年時代にあんまり買ってもらえなかった反動からか屋台でいっぱい買っちゃいますね。懐かしき思いでです。

少年時代の思い出③カブトムシ採り・クワガタ採り

少年時代は夏になるとカブトムシ採り・クワガタ採りに勤しんでました。家の近くに取ったカブトムシとかクワガタとか買ってくれる商店があったんですよね。栗畑(栗の木がたくさん生えているところ)を1本1本見ていって、場合によっては蹴っ飛ばしてみたり。上からカブトムシとか落っことすためなんですが。穴の中にいるクワガタを引っばり出すための道具を針金で自作(父親の養鶏場の倉庫からちょこっともらう)したり、穴の中を照らすための電灯を電池と豆電球で自作したり。当時は100円ショップなんてないのでミニ懐中電灯とか手に入りませんでした。だからつくると。懐中電灯に豆電球の導線の片方をセロテープで固定して、もう片方は使うときに電池に押し付けて光らせてました。おおらかな時代でしたね。栗畑にしてもどこかの林の中にしても、たいていすぐそばに持ち主の家の人がいるわけですが、勝手に入っても、怒られたことなかったですし。もちろん親からは落っこちている栗とは拾ったりしてはダメって言われていて。そういうことさえ守っていれば勝手にはいってもOKで、近所のおじさんとかおばさんも「ああ、誰それさんとこの〇〇ちゃんね」って知っていて。そんな環境で土曜日の午後とかは兄や近所の友達と自転車であっちこっち回ってカブトムシ・クワガタ採りです。そしてひとしきり集めたら買い取ってくれる商店に行って裏口から店のおじさんとかおばさんに声掛けます。これがなかなか渋くて「これは何センチ以上じゃないから50円」とか「これは触覚がないから10円」とか買いたたかれていた気がします。でも小学生の自分たちにはちょっとしたお小遣い稼ぎでした。軽トラでカブトムシとかクワガタとか書いとるのに家々を回っているおじさんもいてうちにも顔出してました。これがまたさっきの商店の人よりも査定が厳しい。子供相手だと思って舐めてるって親が怒ってた記憶があります。またまたサザエさん話になりますが、デパートでカブトムシを買うなんてシーンが流れると「カブトムシなんてそこらへんにいるじゃん。高い金出して何で買うの?」って思ってました。まあそういうデパートで売られているカブトムシやクワガタを採っていたのが自分たちのような少年なわけですが。のんびりした時代だったのかなあ。

少年時代の思い出②鰻

少年時代に鰻といえばうちの父親が夜釣りで釣ってきたものでした。山でとってきた篠を竿にしてたくさん車に積んで夕方に出発していきました。養鶏場の責任者だったのでその日の仕事に穴さえあけなければOKということで、可能だったのでしょう。明け方帰ってきて、釣れたウナギは大きな樽に入れられてました。何日か泥を吐かせるのにそのままにしていた気がします。養鶏場の社長さんとか知り合いにもおすそ分けしていたような。そして食べるときには父親が桐で目のところをぶすっと刺してさばいてました。そしてそれを母親にバトンタッチ。母親はそれをタレをつけながらかば焼きにします。たくさん釣れた時は家族4人で一匹ずつ、鰻丼にして食べてました。鰻のかば焼きってそういう風にしか食べたことがなかったので、サザエさん土用の丑の日にかば焼きを出前でとるなんていうシーンが全くピンときませんでした。「鰻って釣ってくるもんじゃないの?」ってずっと思ってましたから。鰻が高級なものっいう感覚はなかったなあと思います。だって川に行って釣ってくるものが鰻なわけで。今思えばこれまたなかなか経験できないですよね。一匹まるごと食べている鰻は完全に天然ものなんですから。なので鰻はスーパーとかに並んでいても買ったことがありません。少年時代に鰻は釣ってくるものって刷り込まれたからなんでしょうか。もう一度あの時の鰻を食べたいけどそれは無理だもんなあ。

少年時代の思い出①唐揚げ

うちの親は養鶏場の責任者でした。

親がそういう仕事だとなかなか他の人はしないすごいことを経験します。

今にして思えばよい経験であり、よい思い出です。

 

思い出①唐揚げ

夕飯で唐揚げ食べるぞっていう日は父親が雄の鶏を養鶏場の敷地の隅のほうに何匹か連れてってつぶします。養鶏場に来るひよこって事前に選別されているので基本的に雌です。卵を産ませるわけなので。テレビとかでひよこの雄雌の選別してるところ見たことないですか?職人さんがものすごい速さで尚且つ正確に選別するのですが、それでも何匹かは雄が混じります。ひよこの時はわからないのですが成長してきてトサカが目立ってくると雄だとわかるので、雄だけを他のゲージに入れておきます。その雄が食卓に唐揚げとして並ぶわけです。ついさっきまで生きていたのが絞められ(羽をもがれ、足とかを切られて)肉だけの状態になって台所に届けられます。この作業は父親の仕事でした。父親からはその作業中は絶対に近寄るなって言われてました。見ちゃうと食べられなくなるって思ってたんでしょうね。それを母親が唐揚げにします。だから唐揚げがとにかくデカい。K〇Cとかのよりももう一回り大きい感じのが大皿にドカッと出てきます。それを家族4人で食べます。それが普通だと思ってましたけど、今思えばめちゃくちゃ美味かった。そうですよね、肉の新鮮さが違いますもん。でも当時はテレビでやってる冷凍食品の小さな唐揚げとかK〇Cのチキンとかを食べてみたくてしょうがなかったです。当たり前ですけど親は冷凍食品の唐揚げなど買ってくれません。田舎町だったのでK〇Cなんて無くて、買いたくても買えません。遠足とか行くときは、お弁当に親が唐揚げを入れてくれるんですが、お弁当箱に入れるんじゃないんです。足の部分のデカい唐揚げをアルミホイルで包んで、弁当箱の上に乗せて持たせられてました。しかも二本とか。一緒にお弁当食べてた友達がそれを見て「なんだ、それ?」ってなって恥ずかしかったです。今だったら「スゲー美味いんだぞ」って自慢します。小学生だと周りと違うのって恥ずかしかったりしますよね。今のとなっては懐かしき、よい思い出です。